以前の仕事では、携帯電話が一人一台ずつ割り当てられていて、
お客さんからのクレームやら営業からの相談やらが直接自分に掛かってくるようになっていました。
その電話番号は基本的に社内の人間にのみ知らされていて、
外部からの電話は本社の受付でまとめて受けてから取り次がれるようになっていたのですが、一部例外がありました。
それは、営業だったら上得意のお客さんだったり、技術だったら良く壊れる機械を持ってるお客さんだったり・・・。
自分が都内をグルグル回っていたときも、直接連絡を入れてくるお客さんが何社かありまして、機械修理を本業としていた頃は、
そういう電話は恐怖だったものです。(電話が掛かって来る=壊れた、ですから。)
そんななかでも思い出深い電話の一つが、出版編集をやってるKDさんからの電話で、掛かってくるのはいつも・・・
・入稿直前
・プレゼン直前
・営業時間外
・とにかくすぐ
というとき。
そういう状況下で壊れる機械がそもそも悪いのですが、Quark3.3を主とする旧環境のMacや、不安定な電源・
ネットワークなどの原因要素が沢山あり、それらのどこが壊れても、とにかく電話が掛かってきます。
大声で怒られながらも、あるときは急行して修理し、あるときは何とか説得して翌日朝一にして頂いたり・・・。と、やっておりました。
3輪バイクにうず高く部品を積んで走るのは自分の得意技でしたが、その最高新記録を持ってるのもここ、というくらい良く通いました
(給紙部4つに転写ベルト部と感光ドラム。それと定着器だったか。新型で発売されたコピー機が一番調子悪かった時期でしたので・・・。)。
職人気質で、夕方になると必ず酔っ払ってるような方でしたが、
自分が持っている出版に関する知識は実はここで教えて頂いたことが結構あったりします。そんなわけで担当を離れ、
会社を辞めても未だに思い出深かったりするわけです。
でもって鹿児島へ来てしばらくしたある日、KDさんが病気で入院したとの連絡が来ました。病名を聞いて、
大丈夫なのかと心配していましたが、先日無事に完治して退院したとの連絡が来て一安心。
お祝いに芋焼酎を2本、送りました。
病み上がりに酒なんて、と思われるでしょうけど、この辺にあるものでKDさんが喜びそうなものといえば・・・と考えてのことです。
そして、数日後の今日。
知人との電話を切った直後、電話が鳴りました。時間は22時。こんな時間に誰だろうと思いながら電話に出てみると、
「東京のKDですがー。」
(汗)
KDさんから直々、到着通知の電話でした。
こうやってお話するのは2年ぶりくらいになるでしょうか。鹿児島で君は何をしてるんだ?から始まって、どうぞご自愛くださいで締め。
他愛の無い話なのに、なんとなくの緊張感と少々の発汗を伴うのは、昔と変わりありませんでした。(苦笑
とにかく元気で良かったなぁという想いと、現場も会社も離れてずいぶん経つのに、まだ覚えておいてもらえたことに感謝至極です・・・・
。
(ほんとにご自愛してください。飲み過ぎ注意で。)
>アド新橋さん。
教えなくても勝手に掛かってくるという、不思議なことが起きるのです・・・。
ジャイロのフレーム破損って何をすればそんことになるんですかね。
かくいう自分も、セレブな街でお馴染みの白金でバイクが故障して、
路上で分解整備したことなどありますが・・・。
勝手に掛かってくる、ってのも凄い不思議だね。テレパシー???
ジャイロのフレームは...過積載かな?(驚)走行中にフレームがバッキリ折れて大事故にでもなったらシャレにならないからね。もう少し生きていたいです。
sukaさんの、前職での働き振りが懐かしく、でも鮮明に頭に浮かびます。(笑)
オイラも相当無理してジャイロに積み込んだりしてましたが、『(ジャイロの)フレーム破損事件』以来、バイクに乗ることを極力避けました。(泣)
しかし、、、オイラは直電は断固として教えなかったナァ~。アド新橋の会長のご子息のSSKさんでさえも。
さておき、いつまでも覚えてもらって頼られることは、とてもありがたいことですな。