パーティがあるので、久々にカレーを作りました。
玉ねぎを刻んで・・・。
炒めて・・・。
炒めて・・・。
炒めて・・・。
元の体積の5分の1くらいになると、とても甘いジャムのような物体になりますので、
この辺で今日の作業は終了。
翌日は、これに肉やらジャガイモやらを切ったり貼ったり炒めたりして、
いわゆる普通のカレーに仕上げます。
今回は「ナン」のリクエストが出ていましたが、
正確なレシピも十分な材料も揃わなかったので、
いまある材料(強力粉+ドライイースト+塩+無糖ヨーグルト付属の粉砂糖+ヨーグルト)を使って気合で製造。
「ナンっぽい何か」として出展することに。
材料をコネて、温度を上げて発酵させてみると、生地の見た目はそれっぽくなりましたが、
いかんせん強力粉onlyなために、コシが強すぎて伸びやしない。
イケイケで焼いてみるも、なんだか懐かしい味がしてしまう始末。
(うちの親はガサツだったので、半生なホットケーキなどを良く食わされていた。)
さてどうしたものかと思っていたところ、
当日参加者のTさんの研究により、「小さめにちぎって延ばして・鉄板で焼いた後・炭火で炙る」という製法を確立。
「ナンかも知れない何か」として十分食べられるものに仕上がりました。
(いざってときのために市販のパンも用意しておきましたが・・・。)
カレーの方はというと、ナンで食べることを意識しすぎて「濃い目」にしたのと、
バーモントカレーの中辛というチョイスにより、
「何日か煮込んだのでご飯にかけたら美味しそうなお母さんのカレー」のような出来具合。
ちょっと甘かったか。
玉ねぎの甘さとカレー自体の辛さの無さの相乗効果で、野菜の甘み全開。
幸いにもナンにヨーグルトを入れたために発生した酸味のおかげで、
「つけて食べると結構いける」という評価だったので一安心しましたが。。。
どうもお騒がせでした。>参加者の方々。
食べたら片付け。
それが例え独身の○っさんでも、皿は洗わないといけないのがルールです。
さてさて。
その翌日、鹿児島市内に所用で出かけた帰り道。
近くに(と言っても車で40分)出来た懐かしい名前の店で夕食。
特に美味しいとは思わないんだけど、懐かしい味がしましたね。
いい意味で値段相応の物が食べられる、良い店かと。
梅雨に入って、なかなか野外作業が出来ないときは、室内での作業に勤しみます。
先日やっていたのは、アクリルでのキーホルダー作り。
もともと付いていたものが、古くなったり無くなったりでイマイチなので新しく作り直します。
と、言っても全部お任せでは経費上出来ないらしいとのことなので、材料を大きさに切った状態だけで納品。
あとはチマチマと内職で作ります。
まずは、ドリルでキーリングが入る穴を開けます。
会社の電動ドリルは軸ブレが激しいので、自前のインパクトドライバー+ドリル刃で。
刃が金属用しかないので、いきなり大穴を開けようとすると「割れます」ので、下穴を開けてから・・・。
なんか昔、こんな仕事をしてたなぁと懐かしみつつ、最終的には6ミリの穴にします。
次に紙やすりの登場。
本来であれば、面取りくらいやっておいて欲しかったところなんですが、
ほんとに切っただけで納品されてきた(寸法指示しか出していないので当然なんですが)ので、
切断面と角を一つずつ手作業で滑らかにしていきます。
材料が材料なので、角が鋭利でも大した害は無いように思えますが、
ここはやはり念のため。一応お客さんが触るものですから。
あとは、テプラで部屋番号などを書いたシールを作って、貼ったら完成。
今までは、アクリル角棒に部屋番号の彫刻だったので、
新しいのはちょっと安っぽくなりましたが、ヨシとしておきます。
キーホルダーが完成したところで、雨が小降りになったので、
以前から依頼のあった、公園内の看板剥がし作業を。
畳一枚分のアルミ板に、園内に居る生物の説明文が貼り付けてありましたが、
経年でボロボロになってしまったので、剥がしてくれとのこと。
(本来はウチの仕事では無いのですが、たまにはサービスで。)
スクレーパーである程度削り取ったあと、溶剤を塗って浮き上がってきたところを剥がしていきます。
少し残業して、ここまで綺麗にしてみたら、下地にうっすらと「○江台公園」の文字が・・・。
以前は別なところで使われていた看板なんでしょうか・・・。汗
そんなこんなの、仕事メモです。
(これの報告書、まだ出してなかったなぁ。そういえば。)
ぱぱりんさんが良いことをしたというので、見習って自分もしてみました。
http://
大した額ではありませんが、気持ちだけでもと思います。
風邪だけならまだしも、腹下しがひどくてどうもテンションが上がらない二日間でした。
外は雨降りっぱなしで蒸し暑いうえに、税金の通知書が届いたりして、もう何というかフテ寝してましたね。
月曜日、物凄い雨のさなか所用で市内に出かけたのですが、そこらじゅう道路が冠水してて大変でした。関東でこれだけ降ったら、
おそらくかなりのダメージになるなと思うくらいでしたが、こちらでは至って普通な様子でした。
いろいろと寄りたいところはありましたが、用事だけ済ませてそそくさと帰宅。以降引きこもりです。苦笑
のんびりしてたおかげで体調の方はだいぶよくなりました。
そういえば、ずっと前にもらったきり忘れかけていた焼酎があったので、それを飲みつつ養生しております。
さて、明日から仕事だ。またがんばりましょう~。
最後はいつだったっけ?と思い出せないくらい、久々。
梅雨だからって朝から晩まで雨降ってれば、調子も悪くなりますよねぇ~と思って大人しく寝てました。
水野晴郎さんが亡くなったそうです。
自分は特にファンでも無いし映画を良く見る人でもないのですが、
金曜ロードショーに出ていたときの締めの言葉、
「いやぁ 映画って本当にいいもんですね」
という言葉がとても印象的で、かつ本当に映画が好きなんだなぁと思ったものでした。
本当に好きなことを仕事にして、最期まで好きなことに関わりながら居られたのなら
きっと本望だったのではないかと思います。ご冥福を。
—–
悔いを残さず死ぬことなんて、なかなか出来ないとは思いますが、
「あれもやりたかったけどなぁ~まぁいいか。」
くらいの余裕でこの世から居なくなれたらいいと思います。
そんなことを考えていると、
不慮の事故に巻き込まれたりして、思いもしないところで命を落としてしまった人の無念さたるや、
考えるに余りあります。
そういう自分だって、このあと無事に生きていられるかなんて誰も保証していませんが、
少なくともそんなことを考えられる瞬間という時間があるだけ、幸せなのかなと。
—–
もう10年以上前。
妹をストーカーから守るために刺されて死んだ奴が居ます。
今となってはもう、過去の出来事なのですが、
秋葉原で起きた事件の話を聞いたら、ふと思い出しました。
そんなこと考えるだけ大きなお世話だと、奴はどこかで言ってるだろうけど、
今も生きていたら何をしてたのか、何をしたかったのかと。
いろいろ考えてしまうのです。
—–
ま、そんな自分を見て奴は言うだろうけど。
「ところでお前はどうなんだよ。」
携帯電話経由のアクセスに対応させるソフトのバージョンアップに伴い、アクセス先URLが変更になりました。
新しいURLは、
http://www.suka-net.com/blog/mt4i/m.cgi
になります。
お手数ですが、各自ご変更をお願いします。
追伸:このQRコードを気合で読み取れば簡単に入力できます。
以前の仕事では、携帯電話が一人一台ずつ割り当てられていて、
お客さんからのクレームやら営業からの相談やらが直接自分に掛かってくるようになっていました。
その電話番号は基本的に社内の人間にのみ知らされていて、
外部からの電話は本社の受付でまとめて受けてから取り次がれるようになっていたのですが、一部例外がありました。
それは、営業だったら上得意のお客さんだったり、技術だったら良く壊れる機械を持ってるお客さんだったり・・・。
自分が都内をグルグル回っていたときも、直接連絡を入れてくるお客さんが何社かありまして、機械修理を本業としていた頃は、
そういう電話は恐怖だったものです。(電話が掛かって来る=壊れた、ですから。)
そんななかでも思い出深い電話の一つが、出版編集をやってるKDさんからの電話で、掛かってくるのはいつも・・・
・入稿直前
・プレゼン直前
・営業時間外
・とにかくすぐ
というとき。
そういう状況下で壊れる機械がそもそも悪いのですが、Quark3.3を主とする旧環境のMacや、不安定な電源・
ネットワークなどの原因要素が沢山あり、それらのどこが壊れても、とにかく電話が掛かってきます。
大声で怒られながらも、あるときは急行して修理し、あるときは何とか説得して翌日朝一にして頂いたり・・・。と、やっておりました。
3輪バイクにうず高く部品を積んで走るのは自分の得意技でしたが、その最高新記録を持ってるのもここ、というくらい良く通いました
(給紙部4つに転写ベルト部と感光ドラム。それと定着器だったか。新型で発売されたコピー機が一番調子悪かった時期でしたので・・・。)。
職人気質で、夕方になると必ず酔っ払ってるような方でしたが、
自分が持っている出版に関する知識は実はここで教えて頂いたことが結構あったりします。そんなわけで担当を離れ、
会社を辞めても未だに思い出深かったりするわけです。
でもって鹿児島へ来てしばらくしたある日、KDさんが病気で入院したとの連絡が来ました。病名を聞いて、
大丈夫なのかと心配していましたが、先日無事に完治して退院したとの連絡が来て一安心。
お祝いに芋焼酎を2本、送りました。
病み上がりに酒なんて、と思われるでしょうけど、この辺にあるものでKDさんが喜びそうなものといえば・・・と考えてのことです。
そして、数日後の今日。
知人との電話を切った直後、電話が鳴りました。時間は22時。こんな時間に誰だろうと思いながら電話に出てみると、
「東京のKDですがー。」
(汗)
KDさんから直々、到着通知の電話でした。
こうやってお話するのは2年ぶりくらいになるでしょうか。鹿児島で君は何をしてるんだ?から始まって、どうぞご自愛くださいで締め。
他愛の無い話なのに、なんとなくの緊張感と少々の発汗を伴うのは、昔と変わりありませんでした。(苦笑
とにかく元気で良かったなぁという想いと、現場も会社も離れてずいぶん経つのに、まだ覚えておいてもらえたことに感謝至極です・・・・
。
(ほんとにご自愛してください。飲み過ぎ注意で。)